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#長岡百穴古墳 #長岡百穴

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崖や丘陵斜面に横穴を掘って墓室とする形態は横穴墓(よこあなぼ)と呼ばれるらしい…

大谷石が剥き出しになった丘陵に穴を掘って作った古墳(お墓)。
そもそも大谷石ってどんな石かと調べると軽石凝灰岩なんだとさ。
火山の噴火で放出された細かな火山灰や軽石(火山灰の粒径4mm以下)が体積して出来た石なのか。

でも宇都宮周辺のどの火山が噴火したんだろうね?

いやいや、この大谷石が出来たのは【今から2,000万年前の新生代第三紀に活動した火山からの火山灰が固まったものです。当時の日本列島の大半はまだ海中にあり、その一部がわずかに水面上に出ており、流紋岩質火山の爆発により噴出した、火山灰や軽石を含んだ火山灰質のものが、海水中に堆積し凝固して出来たのだと言われています】と解説されてます。


長岡百穴は7世紀前期頃に作られたらしい。
7世紀前期頃ってのは古墳時代の終わりの頃のようですな。
百穴となっているが実際は52基でTOPの写真の場所(東群)に44基で西群(すぐ隣り)に8基の穴があるのだが、実際はもっと多くの穴があったらしい。穴はむきだしではなく扉が付いていて、親族が追葬されていたのかも知れないな。
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穴の奥に観音像が見えるが、殆んどの穴の壁面に彫られていて、それは室町時代から江戸時代に掘られたようだ。


交通量の多い国道のすぐ脇にある古墳。
国道が渋滞している抜け道の両側に駐車場があり、入れ替わり立ち代り見物客が訪れる。
東群の手前は畑で横はすぐ民家というロケーションですが、古代の人を偲んでお参りがてら行ってみるのもアリかもよ。


平和観音と長岡百穴古墳を巡る小さな旅はこれで終わり。
全く関係ないようで、大谷石と観音様で繋がっていた。

パワースポットっていうようなエネルギーは感じなかったけれど、ろくな工具などなかった時代に掘った墳墓や、平和を願い手作業で6年もの歳月をかけて作った観音様には感銘を受けたオヤジなのでしたとさ[ぴかぴか(新しい)]


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